竹嶺瀑布
(ジュクリョンポッポ、位置:大崗面 龍夫院理)

竹嶺瀑布(Jungneong Waterfall)

竹嶺は古くからソウルと慶尚道、忠清道と江原道を結ぶ要衝地で、この一帯に竹が生い茂っていたので竹嶺と名付けたと伝わっている。下り坂30里、上り坂30里、99曲がり角の険しくて厳しい峠として有名であるが、この竹嶺の中腹の近所に竹嶺瀑布がある。九尺の高さから落ちる竹嶺瀑布は、まるで銀玉で刺繍したような神秘境だ。
 清浄な渓谷が周辺の鬱蒼とした森と調和して夏場の避暑客達に脚光を浴びているが、指定探訪路ではなく自然保護地域であるため国立公園小白山管理所が立ち入りを禁止している。


温達山城
(オンダルサンソン、位置:永春面 下里)

温達山城(Ondalsanseong)

史蹟264号の温達山城は、永春面下里の南漢江のほとりにある城山(ソンサン)に築城された山城である。長さ972m、高さ3mの半月型の石城で、原型が比較的よく保存されている。
温達山城は領土拡張競争が激しかった三国時代に、漢江を取るために高句麗と新羅が熾烈な戦闘をした所で、高句麗・平原王の壻である温達(オンダル)将軍の武勇談とともに平岡(ピョンガン)王女との恋の物語が伝わっている。城の内には三国時代の遺物が出土され、井戸の跡が残っており、城壁の外部には梯子模様の排水口がある。南西の門跡の形式とこの門の突出部は、韓国の古代城郭においては珍しい様式なので、注目するに値する。城の北東の南漢江辺りの絶壁の下には温達窟という石灰岩の洞窟があり、城を眺める北側の川向こうの山にも温達と関係のある伝説が伝わっている。城壁の保存状態が良くて築城法を研究するのに重要な遺跡である。城の下には温達洞窟とともに温達観光地が造成されている。


錦繡山
(グムスサン、位置:赤城面 上理)

錦繡山(Mt Geumsu)

海抜1,016mの錦繡山は、原州・雉岳山からつながる名山である。本来は白岩山(ベクアムサン)と称したが、その景色が絹に刺繍をしたようだと、退渓・李滉先生が郡守の時に錦繡山と改称したと言われている。春のツツジ、夏の緑陰、秋の紅葉と冬の雪景色が壮観である。錦繡山を丹城面地域から眺めると山の尾根が、まるで美女が横になっている形をしているので処女峰(チョニョボン)とも呼ぶ。

山の中腹には干ばつや梅雨にも水量が一定した「竜沼(ヨンソ)」があるが、岩の間から湧き出る水はその味がおいしくて山を訪れる人達の格好の飲み物になっている。干ばつの時はここで雨乞い祭りを行なったと言う。また、錦繡山は自然産の薬草の宝庫としても知られているが、特に、ここに自生する砒素の草は食べると即死する毒性を持っている。氷谷(オルンゴル)には三伏の暑さにも氷が凍る。


日光窟
(イルグァングル、位置:魚上川面 任県3里)

日光窟(Ilgwanggul)

魚上川面任県3里の三台山(サムテサン)の下にある石灰岩の自然洞窟である。本来、洞窟の入り口は狭かったが、1937年ジョ・ジョンスン面長が確張して出入りには問題がない。入り口から少し入っていくと、67m程度の巨大なドーム型の広場が現れるが、この広場で上を向くと洞窟の天井が開いており、そこから降り注ぐ一筋の光が壮観であるため、日光窟と名付けられた。
現在は落石の危険があり洞窟の入り口を閉ざして立ち入りを禁止している。


九峰八門
(グボンパル厶ン、位置:佳谷面 宝発里~永春面 栢子里)

九峰八門(Gubongpalmun)

永春から佳谷にかけての小白山の支脈が9つの峰を成し、その間の谷間が8つの門になって絶景を成しているが、ここを旧峰八門と言う。言い伝えによると、仏弟子がここを法門と誤認して登ろうと苦労した所だとして法月八門とも言う。
九峰八門のうち4峰である、ぐっと聳え立った瀛洲峰(ヨンズボン、一名守理峰(スリボン))の頂上には、救仁寺(グインサ)の初代宗正である上月圓覺の墓所の寂滅宮がある。寂滅とは仏教で言う涅槃の世界を意味し、ここの寂滅宮は風水地理学上、三匹の竜が昇天する形であると言う。


北壁
(位置:永春面 上理)

北壁(Bukbeok)

永春面上2里(ヌティ谷)にある南漢江の石壁を北壁と言う。北壁の一番高い峰を青冥峰(チョンミョンボン)と言うが、まるで鷹が今にでも飛び上がるような形をしているので鷹岩(ウンアム)とも呼ばれる。北壁は切り立ったような石壁が屏風を巡らした形に竝んでいて付けられた名前で、地方官の李普祥(イ・ボサン)先生がこの絶壁の壁面に北壁と刻んだ後、今までそのように呼ばれている。寧越、永春、清風、丹陽、豊基、提川などからの風流客達と儒生達がここの風景に魅かれ、遊船をしながら春のツツジ、秋の紅葉を楽しみ、多くの学者が神が作り上げた自然の調和を漢詩として残した。
1960年代までは、北壁に咲き乱れたツツジを通りすぎ、ソウルのグァンナルへ向かって行く船頭の船歌が渋く響き渡ったと言う。


七星庵
(チルソンアム、位置:大崗面 黄庭里)

七星庵(Chilseongam)

大崗面黄庭里にある大興寺(デフンサ)から円通谷(ウォントンゴル)に沿って登っていくと、その行き止まりに円通庵(ウォントンアム)があり、その西の方に空を突くような岩がある。この大石は30尺で、この上にはよく整えてから削って立てたような70尺の岩が7つ立っているので七星庵と言う。
七星庵の上には約300年ほどになる老松があって壮観であったが、枯れてしまった。七星庵は花崗岩なので日の光が照ると目が眩しく、その威容に誰もが感歎する。仏様の手の平の形をしているこの岩でお祈りをすると息子を生むと言われ、男の赤ちゃんを願う多くの人々がここを訪れた。


橋内山
(ダリアンサン、位置:丹陽邑 泉洞里)

橋内山(Dariansan)

丹陽邑泉洞里に造成された橋内観光地から小白山登山路に入る入り口に橋が掛っている。現在は鉄製の橋があり、そこを通じて往き来するが、以前は木材の梯子をかけておいて石壁を上り下りして山に入った。梯子を利用して石壁を下り、石橋で川を渡ったが、梯子の形の橋を渡って山へ行ったことから橋内山という名前が誕生した。木の梯子は大きな原木を左右に広げ、立ててからその間に横木をかけて蔓で縛り、間には石を挟めて踏みやすくした。急傾斜なので人がやっと通れるだけで、牛や馬は通れなかったので、昔の人達は「牛馬不通之地」と言った。この橋の内側を橋内(ダリアン)と呼んだが、橋内にも多くの人々が住んでいたと言う。牛馬はこの橋を通れないので、泉洞洞窟の裏のウォルチョンを通じて往き来した。橋内は橋の内側を示す言葉である。橋内山は、記録によると校内山(ギョネサン)という名前でも伝わっているが、実際にどこを指称していたかは正確ではない。ただ、橋内の内側にある小白山の下のある峰を示すと推測しているだけである。